こんにちは、傳兵衛です。
今回は、少しは恥ずかしいのですが、私事です。
課長になったばかりの頃の悩みと、答えに気付かせてもらった一言についてです。
目次
スタッフから工場へ転勤
初めて課長になったのは、所属していたスタッフ部門で、確か部下は5~6名でした。
しかし、その半年後に工場の製造課に転勤になり、新米課長として、組織上は何百人という部下が急に出来たのです。
その工場には「朝一会議」と言う名物会議がありました。朝一番に開催され、工場長以下が出席する工場全体の会議です。
製造課長の主な仕事は、この多数の部下をまとめることと、「朝一会議」の進行役として、会議を取り仕切ることでした。
最初の壁
いよいよ初めての朝一会議です。
工場の勤務経験もない私に、現場叩上げの役付きが、「朝一会議の進行方法」みたいなメモを作ってくれました。
それを頼りに、なんとか朝一会議を終わらせ、ほっとしていると、「課長、あの仕切りじゃだめだ、こうやった方がいい。」と別の役付きがまたメモをくれました。
次の朝一会議で、そのメモ通りやると、「課長、見てられねえな、朝一会議はこうやるんだよ。」とまたメモをくれます。
これの繰返しで、新米課長の私は、本当に頭を抱え、悩んでしまいました。
「どうすればいいんだ?!」
作業長の一言と気付き
数週間後、製造課が歓迎会を開いてくれました。
出席者のなかには、普段あまり話す機会がなかった、シフト勤務のT作業長がいました。
いつもニコニコしている、物静かな作業長です。本来であれば、職長とか、係長とか、もっと上位の職位に就ける人物だそうですが、何度も昇進を断るそうです。
そのT作業長が二次会で、私に言いました。
「傳兵衛さん、オイラあんたの顔が見えねえよ!」
その時、顔からニコニコ笑顔は消えていました。
でも、またすぐにいつものニコニコ笑顔に戻り、
「酔っ払ったんで、先に帰ります。」と席を立ちました。
二次会は間も無く終わりましたが、私の頭の中で、ずっとT作業長の言葉が繰り返されていました。「T作業長は何を言いたかったのか。」
すっかり酔いも覚めて部屋に戻り、明かりをつけたとき分かりました。
『自分の思いは無いのか、この工場をどうしたいんだ?』と。
つまり、「もっと自分のやりたい様にやることだ!そして、もっと真剣勝負で現場と向き合おう!」と。
その為に、心掛けることを3つ決めました。
・人から報告を受けるのではなく、先に自分で確かめる。朝一会議は出来レース。
・褒める時は後でも、叱る時はその場で、いま言う。
・7割の人が「確かにな」と思うことを言おう。
朝一会議は出来レース
朝一会議の目的は、前日から工場で発生した課題を報告し、対策を決め、それを共有することです。会議で課題を報告してもらい、そして対策を決めればいいのですが、報告者が本当の事を言っているのか、また課題を聞いて、すぐに良い対策が決められるか、疑問です。
会議は朝7時30分から開催です。そこで、工場には6時過ぎには出社し、何が起きているか、自分自身で現場を回り調べました。会議で報告を受けなくても、粗々課題を把握して、会議に臨むことにしました。更に、私の右腕と、会議前に出来るだけ対策も決めてしまいました。
その場で叱る
報告者の中には、問題が起きているにも関わらず、『特に問題ありません。』と言う人もいます。その時は、間髪入れず机を叩き、『問題ないわけないだろう!』とやるのです。
後で、『なんで会議で言わなかったんだ!』と言っても、色々な理由を並べるだけです。
ある程度の迫力と舞台がないと、相手は言う事を聞きませんし、会議も締まりません。
7割の人が「確かにな」
本当は10割(全員)が「確かにな」と思うことを言えれば素晴らしいですが、私にはそんな経験も知識もありませんでした。
そこで、せめて7割の人が「確かにな」と思うであろう事を自分の思いとして常に考えておいて、それを言う事にしました。
私はお酒が好きで、毎日晩酌をしていましたが、朝一会議の前の晩は、晩酌はやめました。
終わり
今回、特に後半は「人から聞いたいい話」ではなく、私の回想になり恥ずかしいのですが、紹介させて頂きました。
ここの工場での経験が、会社人生の中の1つのターニングポイントになったことは間違いありません。辛いこともありましたが、とても良い経験になりました。
もっとも今では、パワーハラになることもしましたし、逆にされもしました。
当時の直属の部下は、皆私より年上ですが、いまも何人かとは年賀状のやり取りが続いています。